今頃韓流とは。

いきなり嵌まったんです。具体的には「主君の太陽」のコン・ヒョジン。

ドラマ見たって言葉覚えませんよね?

ぶつぶつ言いながらも見てた

「よくおごってくれる綺麗なおねえさん」

おねえさんの母は彼氏が家族同然というだけじゃなく、

両親がいないということも反対の理由で、

やっぱりこれも、あんまりピンと来ない。

そりゃ自分の家がとても立派な家計なら

今の日本にもそういうことあるかもしれないけど、

おかあさんたちもどうもそうではない。

両班って感じじゃない。あんのか、まだ?

かたくなに反対して、とうとう最終話では

(ここからネタバレです)

別れてしまってるじゃないですか。

 

当然の再会で、別れに納得してない兄ちゃんが

思いをぶつけ、こっちはもうハラハラしながら

終わってくれ、終わってくれーーー

と願いながら見てたけど、ブツッと途切れる

録画の悲しさ。

 

午後11時から1時半までという放送時間だから

2時間半の録画時間でよろしい。

しかし、ブルーレイで直に録画するんじゃなくて

スカパーの機械で”衛星劇場”を受信してる。

つまり外部入力録画なので自動では延長してくれない。

 

ドラマの最終回がちょっと長めの放送時間。

日本でも時々あるやつ。

痛い目に遭ったこともあるので私は2時間45分の

録画時間にしていた。

なのに!もっと長かったではないか。

毎週録画だとこうなることもあるんですね。

 

したがって、最終回の最後の場面は結局見ることが

できなかった。

犯人は誰だ!

 

衛星劇場は再放送があるのでそれまで待たないと

仕方がない。待つけどね。たぶんたった5分、10分

ぐらいをひと月かそこら待つことになったわけだ。

それまでストーリーを覚えてればいいがなあ。

ああ、お勉強が進まないっす

「よくおごってくれる綺麗なおねえさん」

そりゃまあソン・イェジンちゃんがよくおごってくれれば

なんの文句もありません。

が、さすがにつらいわ、友達の弟は家族同然で

弟と付き合うのはケダモノだ、というような設定。

 

と思いながら見てたけどもう一つあった。

毎回必ずイェジンねえさんとチョン・ヘジン君の

いちゃいちゃシーンが挿入されてる。(あ、深くは入ってません)

どうもこれが忌々しいようで、

ある種の嫉妬なのかなあ。

もう二度とないことに対する嫉妬。

 

街行く若いお二人さんがいちゃついてても

どうせ別れるんやからせいぜい今のうちじゃれとけ。

と、大人の余裕で見てられる。

なのになんでこのドラマだと悔しいのか?あ、悔しいのか。

もう二度とないと言ってしまったことについて

謝罪して終わります。

一度たりともありませんでした。

見栄張ってごめんなさい。

私の頭の中にカブトムシ

私の頭の中の消しゴム」、録画してあったやつを見た。

オチはもちろん、「前に一回見てるやん」

 

よくおごってくれる綺麗なおねえさんでおなじみの

ソン・イェジンさん主演の映画でありました。

若年性認知症

うちの父は、母が亡くなってからどうも認知症っぽいと

思わせて周りの同情を集めておりました。

今はすっかりそんな演技も忘れて元気にしております。

ただまあ、体力がすっかり衰えて歩くのも大変にはなってるけど。

カネへの執着はさすがです。主夫の私からこずかいをせしめようと

あれこれ言います。

殺意は祈りに変えて。成仏しなくてもいいです。

8月はすっかり遊んじゃったなあ。

肌の色がどんどん緑色になってきた。

お外で遊ばなかったからかと思ったけど、キリギリスになってきてる。

触覚も生えてきたし。

 

タイトルは桂春輔さんから。こちらは成仏されたと思います。

まず調べてみろよ。

「推奴」はけっこう前のドラマでしょうけど

私は初めて見る。GyaO!で見てる。

 

時々イ・テギル(演じてるのはチャン・ヒョク

 役者はカッコ内で表記します。今回は)に向かって

弟分の二人が「언니」と言ってる。オンニ。

これは年上の女性に向かって言う言葉。

それも女性が。男性が年上男性に言うなら「형」ヒョン。

と習ったし、本なんかでもそうなってるけど、

昔は違ってたということだろうか。

 

テギルって「대길」で、漢字で書いたら大吉だって。

うーん、ついつい「だいきち」と読むわね。

となると博多が名字?確かにしゅっとした方ではあるけど大吉、

やっぱりちょっと抜けてる感じがしてテギルのイメージじゃないな。

 

オンニと確実に言ってる。きっと歴史的にそうだったんだろうって、

「オンニ 推奴」で検索したらそう出てくるやん。。。。。

大抵のことは検索で出てくるよねー。

それが正しいのか間違ってるかは別にして。

御本の方が正しい、なんてことはないけどねー。

何に書かれてあっても誰が言ってたことでも

正しかったり間違ってたりだ。

しかも変わるよ、大抵のことは。

夏は来ぬ。カネボウ「絹」=「石鹸」と覚えよう。

お勉強会もないし、NHKラジオ講座

お盆と正月は再放送ということで

すっかり韓国語忘れた、というほど入ってないので

どうってことないっす。

 

「よくおごってくれる綺麗なおねえさん」

タイトルだけで余は満足じゃみたいな気分に

なれるよなあ。チェ・ジウの「誘惑」並みか。

チェ・ジウが誘惑でっせ?

 

よくわからないドラマかと思いますね、日本に

生まれ育った者には。

おねえさんがつきあってるのは、家族ぐるみで

幼いころから知ってる友人の弟。

これがどうも、なんかに引っかかるそうな。

 

血のつながりなし、名字も違う。

なのに、家族同然だし、弟だしとおねえさんが

気にしてる。親に言えない、なんて。

お父さんは知った時に彼だとうれしいと言うんです。

あ、ネタバレですけどそこは気にしないで。

私はすでに見たし。

現在見てるのはこれと「推奴」。

古いなあ、けど初見。

やっぱなんかおもしろいよね、歴史もの。

あ、そうだった「仮面の王 イ・サン」も見てる。

あれもおもしろいなあ。

クソ暑い夏ということで、お勉強控えめ。

といってももう秋の風が吹いてると思う時もある。

ミンミンゼミの声、聞いたな。このへんではひと夏に

一度かせいぜい二度聞く程度。

 

しずかさや いわにしみいる せみのこえ

 

英語に訳す時、セミは単数か複数か。

複数だとさむげんたんのSがいる。

私は一匹。1頭の方がいいでしょうか、

いずれにしても単数のイメージだったけど、

うちの相方さんは複数のイメージだったとか。

もっと手前で知ってたら

ここまで一緒に暮らすこともなかったかもなあ。

ごめんね、飛んで火に入った気分で暮らしてるよね。

自習の時間です

月曜日、私にとっての今期の最後のお勉強会。

お勉強会自体は今日が今期の最後。

私は行けない。

先に用事を入れっちまった、ちゅうやつ。

 

次回はもう秋、誰もいない海。10月から。

その間、どうしよう?

ラジオの講座が9月まであるので続ける。

テレビの方は録画したままほったらかし、

これもやろう。NHK放送大学とかなんとかの

撮りだめもある。

あとは、買ったままになってる韓国語の

学習本、腐るほどあるんだこれが。

 

収集癖のせいだ。

古本を、一生かかっても読めないほど買ってある。

たぶんほとんど読まない。

それも仏像に落語に歌舞伎と、なんだよお前はと

思うような偏り振り。

文楽も・・と言ったら友人に、

その調子だと右翼になっちゃいますよと言われたなあ。

軌道修正したわけじゃないけど、その後、韓流へ

道が変わった。これはサヨクではなく、反日なのかな。

 

先生が、日本に5か月住んで、最初の帰国の時は

韓国ものすごく楽しい!と思ったけど、だんだん

日本に慣れてくると、帰ってもなんとも

思わなくなりました、どっちがどっちだか区別がつかない・・

 

と、言うてはりました。

実感なんでしょうね、言葉に支障がないと。

 

河島英五の初期のアルバムに入ってる

「夕焼け空の彼方」という歌。

www.joysound.com

これまた大袈裟なリンクだ。

最後のフレーズ、「ここと同じだろう」に

どんなものがこめられてるのかは

亡くなった河島英五には聞けないし、

歌を聞いた側の解釈でいいんだろうけど、

私には在日であった彼の気持ちがこもってると、

ずっと思っておりました。

今もそう。

暗記と慣れで習得できるはず・・・

常々思ってたことがある。

ハングルを読むというのは大変だ。

基本的にはひらがなと同じで、

一字一音で対応してるんだけど

(もちろん違うんだけど)

この棒が上向いてると”オ”で

下向いてると”ウ”と言われると

こんがらがる。右向いてると”ア”、

左向いてると”オ”。しかも”オ”は

2種類、”ウ”も2種類だなんて。

 

覚えたてのひらがなのように、

一音一音、頭の中で確認しながら読むと、

壊れかけのレディオのように声を出してる。

うまいなあ、このへん。

と自賛したところで本題。

 

もう私はひらがな、漢字、カタカナ混じりの

日本語の文章を、一々確認しながら読んでないぞ。

すらすら読めるんだ、いつの間にか。

もちろん読んでちゃんと意味がわかってるかどうかは

別のお話。ただただ読むことに限定した場合だけど。

 

ということは、一文字ずつ読んでないということは、

これはそこそこ「ひとかたまり」で読んでるって

ことじゃね?どこの子や、わし。

 

ハングルはとてもそういうわけにいかず、

単語の塊ではなく、一文字一文字として

たどたどしく読んでるわけだ、いまだに。

うちの息子が小学校の3、4年ぐらいかな、

字を読むのが苦手で、音読させたらたどたどしくて

忌々しかったなあ。もうちょっとスラスラ読めよ。

 

案の定、本を読まない子に育ち、お勉強が大嫌いな

まま大人になった。けど、不思議なことに文章書かせたら

妙に上手で、いまだにその理由がわからない。

息子自慢はどうでもよろしい。上手というても

たかが知れてる、別に文章で飯食ってるわけじゃなし。

 

そんな私の、文章を読むというのは単語の塊りを読んでる

んじゃねえの?という疑問に対して、

dic.nicovideo.jpうわあ、大袈裟なリンクになったなあ。

だいぶ前から当たり前のことだったようで、

うれしがって一緒にお勉強会に参加してる方に

熱く語ってしまってたのでした。

フラッシュ暗算のイメージなんやなあ、

文章読むということが。

当然のように、ハングルを読むのは困難なのです。

知らん単語ばっかりなんやから、まだまだ。