今頃韓流とは。

いきなり嵌まったんです。具体的には「主君の太陽」のコン・ヒョジン。

暗記と慣れで習得できるはず・・・

常々思ってたことがある。

ハングルを読むというのは大変だ。

基本的にはひらがなと同じで、

一字一音で対応してるんだけど

(もちろん違うんだけど)

この棒が上向いてると”オ”で

下向いてると”ウ”と言われると

こんがらがる。右向いてると”ア”、

左向いてると”オ”。しかも”オ”は

2種類、”ウ”も2種類だなんて。

 

覚えたてのひらがなのように、

一音一音、頭の中で確認しながら読むと、

壊れかけのレディオのように声を出してる。

うまいなあ、このへん。

と自賛したところで本題。

 

もう私はひらがな、漢字、カタカナ混じりの

日本語の文章を、一々確認しながら読んでないぞ。

すらすら読めるんだ、いつの間にか。

もちろん読んでちゃんと意味がわかってるかどうかは

別のお話。ただただ読むことに限定した場合だけど。

 

ということは、一文字ずつ読んでないということは、

これはそこそこ「ひとかたまり」で読んでるって

ことじゃね?どこの子や、わし。

 

ハングルはとてもそういうわけにいかず、

単語の塊ではなく、一文字一文字として

たどたどしく読んでるわけだ、いまだに。

うちの息子が小学校の3、4年ぐらいかな、

字を読むのが苦手で、音読させたらたどたどしくて

忌々しかったなあ。もうちょっとスラスラ読めよ。

 

案の定、本を読まない子に育ち、お勉強が大嫌いな

まま大人になった。けど、不思議なことに文章書かせたら

妙に上手で、いまだにその理由がわからない。

息子自慢はどうでもよろしい。上手というても

たかが知れてる、別に文章で飯食ってるわけじゃなし。

 

そんな私の、文章を読むというのは単語の塊りを読んでる

んじゃねえの?という疑問に対して、

dic.nicovideo.jpうわあ、大袈裟なリンクになったなあ。

だいぶ前から当たり前のことだったようで、

うれしがって一緒にお勉強会に参加してる方に

熱く語ってしまってたのでした。

フラッシュ暗算のイメージなんやなあ、

文章読むということが。

当然のように、ハングルを読むのは困難なのです。

知らん単語ばっかりなんやから、まだまだ。